キレと球威と伸び


 まず「キレ」についてですが、野球解説者なるものが、いったいどういう意味でこの「キレ」という言葉を使っているのか、はっきり言って僕には分かりません。まあ、変化球なら、その変化の鋭さを指して言っているのでしょうが、ストレートの場合の「キレ」とは、何をもって言っているのかよく分かりませんし、彼らがその言葉に対応するボールのイメージを明確に持った上で言っているのかどうかも定かではありません。最初、ボールの回転の違いを指して言っているのかとも思ったのですが、「球が軽い」「球が重い」という表現と照らし合わせてみると、彼らの表現は明らかに矛盾があります。バックスピンのかかったボールはバットの中心より少し上で打つと、より強力にバックスピンがかかりますから、浮力がついて良く飛びます。逆に、回転の少ないボールは、打った時にバックスピンがかかり難くて浮力がつかないし、バットにへばりつくように変形してから飛ぶので、変形にエネルギーが使われる分、飛距離は出なくなります。その事を指して、回転のきいた投球を「球が軽い」と言い、回転の少ない投球を「球が重い」と言うのですが、これは各投手の手の大きさやボールの握り方、腕の振り方や手首の使い方など、それぞれに固有のもので、それがその投手の特徴にもなっているわけです。快速球と豪速球の違いなんていうのも、たぶんこの違いを指しているのでしょう。ですから、もしこれを指して「キレ」と言っているなら、回転が少なくて重い球が特徴の投手は、いつもキレが悪いことになってしまいます。解説者はそうは言いません。

 解説者が本当に意味が分かって「キレ」という言葉を使っているのか、はっきりとしたイメージを頭の中に描いた上で「キレ」と言っているのかどうか、ちと怪しいなあというのが僕の率直な印象です。面と向かって説明してくれと言ったら、きちんと答えられる解説者はいないんじゃないかと思ったりもします。長嶋監督に聞いたら、たぶん「うーん、ピュッとくる感じですねえ。」とかなんとか答えるに違いありません。多くの解説者も似たようなもんでしょう。僕の知る限りでは、球が軽いことで有名だった江川卓氏は、この「キレ」という言葉を使いません。ストレートはもちろんのこと、変化球でも「曲がりが大きい」という野球解説者としては非常に珍しい表現を使います。もしかしたら彼は、この「キレ」という言葉はインチキ臭いと思っているのかもしれません。インチキはもうごめんだって。(笑)

 次に、僕がもう一つ胡散臭いと感じている言葉に「球威」というのがあります。これを「スピード(球速)」と同義で使う分には何ら問題ないのですが、明らかにそうではない場合があります。テレビの解説者にも、
「今日はスピードはそこそこ出てるんですが球威が今一つですねえ。」
なんて言ったりする人がいます。ネットで「スピード・球威」を検索してみたら、そんなのがうじゃうじゃ出てきます。例えばこんな具合です。
「セットに入ると、まるで別人。ストレートのスピードが7キロ以上落ちて、スピードのみならず球威もダウン・・・」
ということは、スピードは落ちても球威は落ちない場合があるという事になります。いったいどういう意味で「球威」という言葉を使っているのでしょうか。「球威ってなあに?」と聞いたら説明できるのでしょうか?

 球の威力って何でしょう。その一つは言うまでもなく運動量です。運動量=速度×質量です。つまり、ピッチャーの投げたボールの運動量は、スピードで決まってしまいます。当たり前ですが、ボールの質量は変わりません。よく「体重がのってないから球に威力がない」なんて言う人がいますが、心霊現象じゃないんですから、自分の体重がボールに乗り移って、ボールが重くなるわけではありません。あれは単に、体重ののらない投げ方(つまり重心移動ができてない投げ方)ではスピードが出ないという事を言っているだけです。言っている本人がどう思って言っているかは知りませんけど。(笑) 話を元に戻しましょう。単純に考えると、球の威力はスピードだけで決まるという事です。

 ただ、ボールには回転というものがあります。回転しているという事は、エネルギーを持っているという事で、それが角運動量です。角運動量の大きい球、つまり回転の多い球は、同じスピードでも回転の少ない球より大きなエネルギーを持っているという事です。従ってそれだけ威力があるという事になります。ここで「おや?」と思われた方がいらっしゃるかもしれません。最初の話では確か回転の多いボールは「軽い」はずだったと・・・。そう、その通りなんですが、問題は回転の仕方にあります。

 ピッチャーが投げた球が、(ピッチャーから見て)真っ直ぐにバックスピンしている場合には、バットの進行方向とボールの回転とが一致しているので、これをバットの中心よりやや上で打つと、バッターの側から見て真っ直ぐなバックスピンがかかります。すると打球は浮力がついてよく飛ぶので、この球は軽いという事になるわけですが、回転が斜めの場合には、打った時に真っ直ぐなバックスピンがかかり難く、打球が切れてしまって伸び難くなります。つまり、前の話と総合すると、同じスピードなら回転の多い球の方がエネルギーが高くて威力があるけれども、それが真っ直ぐなバックスピンだと、いわゆる「軽い」球となってよく飛ぶという事になるわけです。

 まとめてみると、ストレートは大きく分けて次の3種類の球に分けられるのではないでしょうか。
(1)回転の少ない球・・・ボールの持つエネルギーは低いけれど、回転が少なくて打球に浮力が付き難く、変形によるエネルギーのロスもあって飛び難い。
(2)回転が多く真っ直ぐなバックスピンの球・・・ボールの持つエネルギーは高いけれど、打球に浮力が付き易く、飛距離が出る。
(3)回転が多く斜めのバックスピンの球・・・ボールの持つエネルギーが高く、打球も切れるので飛距離が出難い。
同じスピードなら、(2)より(3)の方が(飛び難いという意味で)力がある事は明らかですが、(1)と(3)はどうかというのを定量的に捉えるのは難しいところです。一般に(1)が「重い球」と言われて特別扱いされているところを見ると、直感的にはたぶん(1)が最も飛び難いのだとは思いますが。

 球の持つ物理的な力についてはだいたい分かりましたが、問題は「球威」という言葉が指す「球の威力」がそういう物理的な力だけかどうかです。こういう物理的な力が意味を持つのは、ボールをバットの芯で捉えた時の話で、実際にはそれ以前にバットの芯で捉えられるかどうかという問題があります。同じスピードで比較すれば、上の(1)が最も捉え易いでしょう。また、(2)の状態に近いほど、後で述べますが一般に「伸びがある」と言われて、芯で捉え難くなります。つまり、この側面から見た「球の威力」は、先程の物理的な力から見た場合と全く逆の序列になるわけです。

 さて、野球解説者をはじめ多くの人が口にする「球威」ですが、(1)から(3)のどれをもって「球威がある」と言っているのでしょうか。僕にはさっぱり分かりません。「キレ」と同様、「球威」とは何を指して言っているのか、という明確なイメージを頭の中に持っていてこの言葉を使っているようには僕には思えません。しかもこの「キレ」と「球威」が複合されると、もう完全に理解不能です。
「今日はスピードも球威もありますねえ。その上キレもあります。力のこもった球が来てます。」
「今日はスピードは出てるんですが、球威とキレが今一つです。スピードの割にはストレートに力が感じられないんですよね。」
野球中継でこんな解説に出くわしたら、どんな球か想像してみて下さい。たぶん想像がつかない事でしょう。言ってる本人だって分かっちゃいないと思いますよ。連中は相当いい加減です。(笑)

 更に、ストレートに関する表現にはもう一つ「球の伸び」というものがありますが、これがまた曲者です。「打者の手元でホップしていますねえ」なんて真顔で言う人がいたりしますが、人間の投げる球が投手・捕手間で実際に浮き上がるなんてことはあり得ません。回転しながら空気中を進むボールにはマグヌス力という力が働き、ボールの進行方向が変わります。カーブが曲がるのもこの力によるもので、ボールがバックスピンしていれば、この力は上方に働きますので、これが重力に打ち勝てばボールは浮き上がる事になります。が、実際にはプロの投手が投げるストレートでも、投手・捕手間での回転数は10回転前後、スピードは150km/h前後で、これでは重力に打ち勝つほどのマグヌス力は生まれないのです。ですからどんな投手が投げるストレートでも実際にはボールは下降しているわけです。ただ、スピードがあってバックスピンの回転数が多い球ほど下降の度合いが小さくなり、人間の目の錯覚で浮き上がっているように見えているだけなのです。「伸びがある」という表現を使うこと自体は何ら問題はないのですが、野球でメシを食ってる人に「手元で球が浮き上がる」なんて事を言われたり、「伸びのある球は打っても飛びにくい(つまり重い)」なんて矛盾した事を言われると、その人に対する信用は完全になくなってしまいます。

 キレだろうが球威だろうが伸びだろうが、ある投球に対してどういう表現を使おうが人それぞれ自由だと思います。しかし、その表現の根底には、どういう球を指して言っているのかという明確なイメージが必要だし、それがあれば矛盾する事はなくなるはずです。少なくともそうでなければ「解説」とは言えないと僕は思ったりするわけです。


★TopPage